今上の「おことば」が国民の共感を得て、生前退位特例法で「退位」
今上が2016年8月、退位の意向を滲ませる「おことば」を表明し、社会に驚きが広がってから約2年8カ月。
光格天皇(江戸中期1780~1817)以来、約200年ぶりの退位が実現する。
現行憲法のもと、初めて象徴天皇として即位し、あるべき姿を全身全霊で模索した平成の30年だった。
全国各地を訪れ、地域を支える市井の人々との接点を大事にしてきた。
「おことば」の中で、こうした国民に対する深い「信頼と敬愛」をもって、天皇としての務めを果たせたと述べた。
「信頼と敬愛」は、昭和天皇が戦後間もない1946年のいわゆる「人間宣言」の中で、天皇と国民との関係について用いた文言でもある。
今上はその言葉の中に、自分と国民との新しい関係を築こうという思いを込めたのだろう。
そもそも「象徴」に明確な定義はないので、「象徴像」をどう築くのかは皇太子のころから問われていた。
皇太子妃として初めてとなる民間出身の皇后美智子さまと結婚し、お二人で国民の中に積極的に入っていった。
目指したのは、国民との絆を深めることだった。
天皇の務めについて、国民の「安寧と幸せを祈る」ことと共に、「時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」と述べている。
その言葉通り、被災地をはじめ、全都道府県を2回以上訪れた。
移動が簡単ではない離島への訪問は、皇太子時代を含めて21都道県の55島に上る。
発展から取り残された地域に足を運ぶことで、日本という共同体の内にあることを示し続けた。
「障害者施設」や「ハンセン病療養所」を繰り返し訪問したこととも重なる。
「高齢となるに伴い、象徴の役割がいずれ十分に果たせなくなる」とした陛下のおことばについて、天皇は存在さえすればよく、公務を代わりに担う摂政を置くべきだとの意見も出た。
しかし、お気持ちは国民の共感を呼び、退位の「特例法」ができた。
「行動する天皇」として、象徴の務めを全力で果たしてきた姿に国民が敬意を抱いていたからだろう。
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