菅原文太さん、農業は実業、映画は虚業 畑と被災者支援と戦争・原発反対
訃報が続く。今度は菅原文太さんだ。11/28に転移性肝がんによる肝不全で亡くなった。81歳。映画「仁義なき戦い」「トラック野郎」シリーズ」で人気となったが、若い人たちには「軽トラックCM」の農家のおじさんのイメージか。東日本大震災では「3年もたって仮設住宅とは恥だ」と怒り、
沖縄知事選では、「戦争はダメ」と説いた。
高倉健さんが82歳で亡くなったばかり。同じヤクザ映画でスターになったが、静かな男の高倉とは対照的に、菅原は直裁で行動的で、ヤクザ路線を離れてからも、ちょっとユーモアのある行動派のイメージを保ち続けた。
共演が多く個人的にも親交があった松方弘樹は、「文太さんがいたから頑張れた。いつか絶対に越してやろうとかね」と話す。ただ、「(息子の)加織を事故でなくしたのが70代で、あれから変わった。いい変わり方、目までやさしくなって好々爺になった」
彼の時代としては珍しく、ファッションモデルから24歳で映画界入りした。初主演は39歳という遅咲きだが、70年代にトップスターになった。50歳を過ぎてからは福祉活動などに力をいれていた。
松方は、「息子の死のあと、人生は映画だけじゃないぞと目までがやさしくなった」という。
山梨で農業をはじめ、講演活動もした。2011年の東日本大震災では支援活動に打ち込み、翌12年には俳優活動の引退を表明。「農業は実業だ。映画は虚業だけど、農業はウソじゃできない」とおだやかに話していた。
30日に太宰府天満宮で家族だけの葬儀を済ませた。妻の文子さんは、「7年前に膀胱がんを発症して以来、以前とは違う学びの時間をもち、『朝に道を聞かば夕に死すとも可なり』の心境で日々を過ごして来たと察しております」といいコメントを出した。
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