織田信長との和睦で埋めた今井町の濠を確認 武装宗教都市
中世に濠や土塁を築いた武装宗教都市として知られ、近世には堺(大阪府)と並ぶ商業都市としても栄えた奈良県橿原市今井町で、16世紀後半に対立していた織田信長と和睦した際に埋めたとみられる濠の跡が見つかり、市教育委員会が21日、発表した。
橿原市教委によると、今井町は16世紀前半から一向宗(浄土真宗)の寺内町として発展。大阪の石山本願寺とともに織田信長に対抗したが、1575年に降伏した。
国の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されており、町の変遷をたどる重要な発見になりそうだ。
今井町の南西角付近を調査、長さ10m分の外濠跡を確認した。
今井寺内町は一向宗の本山・石山本願寺に呼応して信長と戦ったが1575年、明智光秀に攻められて降伏。武装解除され、外濠も埋められた。環濠は再掘削され、江戸時代には商業都市として発展、「大和の金は今井に七分」と謳われる繁栄を誇った。
■現地説明会は26日午前9時半と同10時半から。小雨決行。近鉄八木西口駅の南西約1㌔。駐車場はない。
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