浅丘ルリ子さん、旭日小綬章 春の叙勲
春の叙勲で旭日小綬章きょくじつしょうじゅしょうを受章した浅丘ルリ子(本名:浅井信子70)は、受章の知らせを受けてすぐ、亡き両親と姉に報告した。「真面目な性格は父から受け継いだ。丈夫な体に産んでくれた両親に感謝しています」
1955年に映画緑はるかにでデビュー。この作品の中原淳一のメークが今も基本だ。当時の可憐さは現役アイドルを超越。
渡り鳥シリーズなどで日活、日本映画を支えた。転機は憎いあンちくしょう。美貌に加え、女優としての評価を決定づけた。
「テレビや舞台は鶴橋康夫さんや蜷川幸雄さんらに誘っていただき、運がよかった」と謙遜するが、演技者としての輝きが演出家やファンを魅了。
「女優をやめたいと思ったことは一度もない」という言葉には、全身全霊でぶつかってきた覚悟と自信が滲みでる。
仕事を休んだのは56年間で高熱を出した一度だけ。
「一番難しい」という舞台では、台詞をすべて覚えてから本読みに臨む。「女優業は私の生きがい。体の続く限り続けます」
「渥美清さんに、『寅さん、いただいたわよ』と言いたい」
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