佐藤忠良さん、死去、具象彫刻の第一人者
具象彫刻の第一人者で東京造形大名誉教授の佐藤忠良ちゅうりょうさんが30日午前8時16分、老衰のため死去した。享年98。宮城県大和町生まれ。東京美術学校(現東京芸大)彫刻科卒。
同級生の舟越保武や本郷新(共に故人)らと新制作派協会(現新制作協会)彫刻部を創立。
44年に応召、旧満州(現中国東北部)に渡り、3年間のシベリア抑留の後に帰国した。
長女で女優の佐藤オリエをモデルにしたオリエ(49年)や群馬の人(52年)をはじめ佐藤忠良の首狩りと言われるほど、初期は頭部像の制作に情熱を傾けた。
代表作帽子・夏(72年)のような清潔感あふれる女性像、無邪気な子供像は幅広い人気を獲得。絵本のロングセラーおおきなかぶ(62年)の挿絵でも広く知られ、小中学校の美術の教科書作りにも関わった。
自称粘土職人。作品の多くは市井の人々をモデルにしている。
「ドラマ性がない」と笑っていたが、自身はシベリアで壮絶な体験をしていた。このとき、人間をつぶさに観察したという。「権力や知識のある人より、手に職を持った大工さんや、普通の人の方が立派でした」。
愚直な職人の姿勢は終生変わらず、70~80年代に複数回打診があった文化功労者等についても、国からの栄誉はお断りするとの意思を貫いた。
60年高村光太郎賞、74年毎日芸術賞、75年中原悌二郎賞など受賞多数。
81年、日本人として初めてパリの国立ロダン美術館で個展を開き、反響を呼んだ。90年、故郷の宮城県美術館に佐藤忠良記念館が開館。
創作意欲は終生衰えず、杉並の広いアトリエで朝8時ごろから夜8時ごろまで、粘土と格闘する生活を送った。最晩年には等身像の制作こそ難しくなったが、新制作展には09年まで毎年、出品を続けていた。
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コメント
tenjin95さま
私も好きな造形家の一人でした。
展覧会にも何度か足を運んだことがあります。
>震災復旧の最中にお亡くなりになるというのは、今後の宮城を示しているような気もします
どういう意味ですか?
投稿: 大滝三千夫 | 2011/03/31 18:41
> 管理人様
宮城が誇る、大彫刻家です。まだ御存命だったという話をちょっと聞いたことがあったのですが、100歳近かったのですね。この震災復旧の最中にお亡くなりになるというのは、今後の宮城を示しているような気もします・・・心から哀悼の意を表します。
投稿: tenjin95 | 2011/03/31 14:31