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【追悼】さようなら、ET先輩!

先日、「ETさんが亡くなった」という電話を受けた時は本当に吃驚しました。

オーストラリアに投資の勉強に行ってきた、暖かくなったらそちらに遊びに行く、と年賀状に書いてあったのを読んで、まだ一か月も経っていません。

いくらお金をためて「老後の安心」を確保しても、死んでしまったら何にもならないじゃないですか。

ただ、十年ほど前に、白血病で数ヶ月入院していたことが、いつも心に引っかかってはいました。

スカイプとパンダネットを使っての囲碁対局を中断したものです。

ETさんを初めて知ったのは高校三年の時。

浪人時代、母校の図書室で受験勉強に励み、時々私たちのクラスの授業に出ていました。

そして、早稲田の商学部に進学。

学部は違うが、私も同じキャンパスに通うことになります。

貴兄は地に足のついた思考をする現実主義者、私は浮世離れした根なし草。

でも、妙に気が合いました。

気持ちが穏やかになるのです。

私が生れてこのかた、心の最も深いところで生きる喜びを味わったのは、貴兄と一緒に大野城址に出かけた時でした。

姉妹ブログ、エッセー集 《いにしえに迷う》にある『自然との一体感』は、その時の感動を記した拙文です。

読まれたかどうかは存じませんが、かなり創作が入っています。

私が大学一年の時という設定ですが、同じ東京に住んでいたETさんの福岡市の下宿を訪ねるなんてことはありえません。

九州大学に進んだ同級生のうちの誰かだったのでしょう。

先輩と、彼らとの思い出が錯綜しているのです。

しかも、城址探訪に出かけたのは福岡県庁に就職された後のことだろうから、5~6年の歳月をたった2日間に凝縮している。

ここは、文章を明快にするための方便だったと大目に見てやって下さい。

とにかく、大野城址を見に行こうと一緒に出かけたのは間違いなくETさん。

『自然との一体感』をここに引っ張ってきます。

そして、長い交友に対する感謝の念とします。             (合掌)

       自然との一体感

木々の緑

あれはいったい何だったのだろう。

雨に洗われた木々の緑とわたしの魂とが、直につながり、響きあった。

どこか夢の中の出来事のようであり、現実のようでもあった。

親しく語りかけてくる樹木や草花、はてしなく広がる紺碧の空、心地よく頬を撫でていく涼風、激しく降ってくるセミたちの鳴き声。

それら自然のものと一体になった心持ちで、私は、山を下っていた。

しかし、両の足は地につかず、宙を踏んでいる。

わたしと森羅万象を隔てていた膜が1枚、剥がれたような気がした。

空の青や木々の緑が、かつてないほど鮮やかに見え、心に深くしみた。

風のそよぎやセミの絶唱が、無性にいとおしい。


大学1年の夏休み。

東京の私立大学に進んだわたしは、福岡県へ初帰省していた。

熊本と佐賀、両県にほど近い小さな町である。

学生時代を通じて、実家に帰る途中、京都や大阪の友人経由で、福岡市の国立大学に進んだ高校時代の同級生らを訪ね、泊まり歩くのが常であった。




都府楼跡.jpg 都府楼跡

その日は、JR博多駅で新幹線を降り、高校時代の同級生の下宿に顔を出した。

ピンク・フロイドの『原子心母』が流れていた。

その時、「おやっ、彼も、ピンク・フロイドを聴いているのか」と、一瞬だが、不遜な思いに囚われた。

東京から帰ってきたという、それ自体なんの意味もない事実のもたらした意識のありように、やや戸惑ったことを覚えている。

地方出身者のうち、東京でしばらく暮らすや、なぜか方言を口にしようとせず、同郷人に対しても、付け焼き刃の東京弁を使いたがる人種がいる。

その時の私の意識は、付け焼き刃の東京弁に通底するものがあったのかも知れない。


翌朝早く、その友人と大宰府天満宮や都府楼跡、観世音寺など
の後背をなす四王寺山(大野山・標高410m)に向かった。

四王寺山には、白村江の戦いに大敗した天智天皇が、唐・新羅連合軍の逆襲を警戒、大宰府防衛のために築いた大野城の城跡が残っている。

倭軍とともに朝鮮半島を追われた百済の築城家の指揮下、築いたといわれる古代朝鮮式山城てある。

その大野城跡を探訪しようというわけだ。


古代朝鮮式山城は、他に対馬の金田城、筑紫の基肄城、長門の長門城、吉備の鬼ノ城、讃岐の屋島城、大和の高安城などがあり、北九州から瀬戸内海沿岸にそって、唐・新羅連合軍から大和朝廷を守るように点在している。

大宰府周辺には、古代の山城や水城、大伴旅人や山上憶良、菅原道真らにゆかりの深い遺跡など、遠の朝廷
とおのみかどと呼ばれていただけあって見所が多い。


空は、朝からまぶしく、日中の猛暑を兆していた。








四天王寺山 四王寺山峠

四王寺山峠のあずまやに辿り着いたのは正午過ぎ、西鉄・大宰府駅前で買い込んでいたお握りを、売店のビニール袋から取り出した。

ビニール袋を手にぶら下げて、山道を歩いてきたのだ。

おにぎりを頬張っていると、朝から照りつけていた日差しが次第に弱まり、雲の量が急に増えた空から、ポツリポツリと雨が落ち始めた。

出かける時分は快晴だったし、、高い山でもないし、雨具の用意など思いもよらなかった。

再び、山道を歩き始めた。

だが、激しくはならないものの、雨はしつように降り続く。

四王寺山の山頂を越えたあたりで、雨が本格的に地面を叩きはじめた。

足もとが滑りやすくなった。

だが、いっこうに雨をしのげる場所が見つからない。





雨後.jpg 雨上がり

ふもとの家並みが視界に入る頃になってやっと、土木工事の作業場らしき無人の小屋へ走り込んだ。

入口に立っていると、目の前へ、何度も何度も、濁流がものすごい勢いで寄せ、砂利や赤土を激しい音を立てて運んでいった。

トタンの屋根を打つカミナリのような雨音が、耳をつんざいた。

友人と話そうとしても、お互いの声が聞き取れない。


小1時間はたったろうか、ようやく驟雨がおさまったと思うや、うそのように空が晴れ上がっていった。

せみの声がよみがえって、生命力そのもののように、再びわたしの耳に届きはじめた。

午後4時近く、ほっとした思いでふもとへの道をたどった。


山腹に立ち並ぶ木々を見上げると、雨滴にぬれた葉がつやつやと生い茂っている。





飛梅.jpg  飛梅 大宰府天満宮

爽やかな雨上がりだ。

そのうち、濃淡を織り交ぜた木々の緑とわたしの何かが、どこかで交流するようになり、わたしから次第に現実感覚が遠のいていった。

今、こうして大いなる自然の中に生きている、いや生かされている。

心の底から溢れるような充足感と、生きている喜びに、わたしは包まれていった。

肩を並べて歩いている友人はもはや誰でもなく、風や雲や鳥や花や路傍の石ころと同じく、わたしとともに自然の一部であり、その豊かな恵みの中で、生きとし生けるものであった。


今になって振り返ると、あの時の体験は、森羅万象に対して人間のさかしらな自意識を持たずに向き合えた、短いが至福の時だったような気がする。


驟雨に見舞われ、大野城跡探訪どころではなかったが、自分の人生に珠玉のような彩りを与えてくれた一日であった。

                  自然との一体感(大野城跡探訪)

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