九九は中国伝来 裏付ける木簡出土 平城宮跡
奈良市の平城宮跡(特別史跡、8世紀)にある官庁街跡東方官衙かんがから、かけ算の九九の記された木簡が出土した。ほかにも、天皇の文字が書かれた木簡なども見つかった。奈良文化財研究所が3日、発表した。
木簡(長さ16.3cm、幅1.5cm、厚さ2㍉)は□九廿(にじゅう)七 二九十八 一九如九(□は欠損)など九の段の掛け算が記されていた。
答えが一けたの時に前に如を書くのは、中国の数学書孫子算経(3~5世紀頃)に出てくる九九と同じ書き方で、孫子算経は奈良時代の律令で数学の教科書に定められていた。
役人が孫子算経を参考に九九を練習したとみられる。
九九が登場する日本最古の書物は、学童の教科書口遊くちずさみ(10世紀)だが、如は書かれていない。
中国数学史に詳しい川原秀城東大教授は、「中国語の読みでは、如を入れた方が四文字でそろって語呂がいい。奈良時代は中国から伝わったまま練習していたのが、平安時代に如だけ落ちたのだろう」と推測する。
称徳天皇(718~770)を指すとみられる天皇の文字が書かれた木簡(長さ6.3センチ、幅1.3センチ、厚さ2ミリ)も出土した。
平城京跡ではこれまで、皇位を後継者に譲った後の聖武太上だいじょう天皇を指すとみられる、大上天皇と書かれた木簡が出土しているが、天皇その人を指す木簡の出土は今回が初めてという。
表に天皇崩給、裏に年八月などと書かれていることから、宝亀元(770)年8月に亡くなった称徳天皇を指すとみられるが、用途は不明という。
他に、藤原仲麻呂の乱(764年)で活躍した武将道嶋嶋足みちしまの・しまたりや、門を守る役所衛門府の次官、粟田朝臣鷹守あわたのあそん・たかもりら、続日本紀に登場する人名が書かれた木簡も見つかった。
木簡はいずれも、衛府のごみ捨て場とみられる穴から見つかった。既に出土した木簡の記述から、宝亀2(771)~3年頃の木簡群とみられるという。
九九は春秋時代(紀元前770~前403)に使われていたとされ、如は同一の意味で、孫子算経では掛け算の答えが1桁の場合に使われている。
九九は奈良時代以前に伝わったとみられ、万葉集には十六と書いてししと読ませる記述もある。(asahi.com他)
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