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後鳥羽上皇の水無瀬離宮か 広瀬遺跡で大型建物跡

大阪府島本町の広瀬遺跡で、鎌倉時代の後鳥羽上皇(1180~1239年)が造営した水無瀬離宮跡とみられる建物跡の一部が見つかり、同町教育委員会が22日、発表した。

Photo離宮には後鳥羽上皇に命じられ新古今和歌集を編さんした藤原定家らも招かれ、上皇自らも和歌づくりを楽しんだとされる。

町教委は「院政を行う役所的な意味もあったのではないか」と推測している。

見つかったのは四つの柱穴(直径約30cm)や鎌倉時代前期(12~13世紀頃)とみられる瓦の破片約600点。

Photo_2 柱を立てるための礎石は残っていなかったが、礎石の周囲を固める根石と呼ばれる石が残っていた。柱穴は1辺4.2㍍の正方形の四隅にあったが、建物の規模は不明。

瓦は小型で実用的でないことから、屋根はかやぶきで、部分的に瓦が使われたとみている。建物跡から約4㍍北側には人頭大の石が敷き詰められており、せり出した屋根の雨水を受ける溝だったらしい。記録などによると、離宮は1199年頃に築かれたが、1216年の洪水で、近くに再建されたという。

後鳥羽上皇は、朝廷の勢力挽回を狙い1221年に承久の乱を起こしたが、隠岐島に流された。

Photo_3【水無瀬離宮】 後鳥羽上皇が1192年、現在の水無瀬神宮(島本町広瀬3丁目)を中心に、水無瀬川と淀川の合流地点付近に造った。

洪水で壊れたため1217年、水無瀬神の西約800㍍の山手に造営した。

現地説明会は、24日午前10時から(共同・他)参照

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