武者小路実篤、戦争支持派とは一線 魯迅弟へ手紙で本音
小説友情などで知られる作家武者小路実篤が、中国人作家魯迅の弟にあてた手紙の実物がみつかった。
44年頃のもので、第2次世界大戦中は戦争に協力的だったとされる実篤が、末期には国策追従の文学者から一定の距離を持っていた様子が読み取れる。
手紙は、魯迅の弟で文学者の周作人にあてたもの。周と、戦争支持派の作家片岡鉄兵との論争を仲裁する目的で書かれた。論争のきっかけは、43年8月に開かれた国策に協力する文学者の会議。知日派とされる周は参加せず、そんな周を片岡は国策に非協力的だと非難していた。
手紙はペン書きで、原稿用紙5枚にしたためられている。封筒には筆で、「周作人兄 武者小路実篤」と記されている。実篤は開戦時、戦争を賛美する文章を発表するなど、戦争に協力する姿勢を示していた。
だが、「皆も今更に君の存在の大きさを知った」と周に敬意を払い、国策協力一辺倒の片岡の発言には、「根拠のない発言」「場あたり的なものだ」と否定的。
会議を開いた日本文学報国会についても、「皆が同じ意見を持たなければならないのでしたら、僕はとっくに退会しています」と書き、戦争協力を強いられた時代に、周に共感して本音を漏らしている。
最後に、「君の三十余年の友情を感謝して」と添えている。
手紙は香港在住の作家鮑耀明パオ・ヤオミンさん89が周から61年に譲り受け、最近まで行方が分からなかったが、自宅で見つかった。
70年代前半に鮑さんから写しをもらっていた中国文学者の木山英雄一橋大名誉教授は78年に著作で紹介、04年の改訂版周作人『対日協力』の顛末にも掲載された。
ただ周の視点からの分析が主だったため、実篤の戦争に対する姿勢までは詳しく言及されていない。87年から刊行された武者小路実篤全集(小学館)にも収録されておらず、広く知られないままになっていた。
全集の編集に加わった大津山国夫千葉大名誉教授は、「大戦末期になるにつれ、冷静に戦争を見つめていた様子がうかがえる。実篤の研究者の間でも知られていなかった貴重な資料。これからの分析が待たれる」(asahi.com)参照
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