森繁久彌さん逝く 演劇界初の文化勲章受章者
映画「夫婦善哉」や舞台「屋根の上のバイオリン弾き」、テレビドラマ「七人の孫」などで知られる俳優で演劇界初の文化勲章受章者森繁久彌さんが死去したことが10日、分かった。享年96。
森繁さんは7月22日、夏風邪をひき熱が出たため、検査をかねて都内の病院に入院。いったんは平熱まで熱が下がったが、痰が絡む症状がみられたため、入院を続けていた。
森繁さんは02年12月に、滞在先の沖縄県で心筋梗塞で倒れ、一時危険な状態に陥ったが、回復。
その後は月に1回程度、かかりつけ医の訪問診察を受けていた。
最近では「96歳なりの生活、元気さ」(所属事務所)を保ち、NHKの大相撲中継を楽しんだり、日本を代表する指揮者、故朝比奈隆さんが指揮するクラシック音楽のDVDを見るなどして過ごしていたという。(sanspo)参照 合掌
■森繁久彌 江戸時代には、江戸の大目付だった家柄。
旧制北野中学校(現・大阪府立北野高等学校)、早稲田第一高等学院(現・高等学院)を経て、1934年に早大商学部へ進学。
在学中は演劇部にて先輩の谷口千吉や山本薩夫と共に活動。山本らが左翼活動で大学を追われてからは中心的存在となった。36年、必修とされていた軍事教練を拒否して大学を中退。長兄の紹介で東京宝塚(現・東宝)へ入団。
1939年、NHKアナウンサー試験に合格し満洲に渡る。満州電信電話の放送局に勤務。満洲映画協会の映画のナレーション等を手掛ける。甘粕正彦とも交流があった。満州巡業に来た5代目古今亭志ん生、6代目三遊亭圓生らとも親交を結ぶ。
アナウンサーになったきっかけは、「徴兵制度を避ける為。海外へ赴任出来る当時としては数少ない仕事であったから」と、後の著書に記している。
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