三島由紀夫、谷崎潤一郎をノーベル文学賞候補に推薦
1958年のノーベル文学賞で、谷崎潤一郎が最終候補の一歩手前の候補者41人に入っていたことが、スウェーデン・アカデミーに対する朝日新聞の情報公開請求でわかった。
38年の受賞者パール・バックの推薦が決め手で候補となり、後にライバルとなる三島由紀夫も推薦状を送っていた。
ノーベル文学賞は、世界の作家組織や学識者らが候補を推薦。同アカデミーで絞り込んでいく。
50年間の非公開期間が過ぎて開示された58年の選考資料によると、谷崎はバックや三島、日本文学研究者ドナルド・キーン、ハーバード大のライシャワー教授ら計5人が推していた。
谷崎は最終候補の4人に残らず、この年はソ連のパステルナークに決まった。谷崎は65年に死去、日本初の受賞者は68年の川端康成となった。
三島の推薦状は58年1月24日付で、便箋1枚に英文タイプでつづられている。
「古典的な日本文学と現代的な西洋文学の融合に最高の水準で成功した作家」
「主題は限定されているように見えるが、その核心には常に理想主義者の批評的感覚がある。その美の世界に顕著に現れる、人間の本質への洞察の鋭さは驚きをもたらす。繊細だが輝かしく、はかないが重みのある、芸術と呼ばれる仕事を続けてきた」と力説している。
三島は当時、海外で名が知られ始めた時期。谷崎を推薦したことは一般には知られていなかった。
日本から候補になったのは47、48年の賀川豊彦が初めて。その次が58年の谷崎と詩人の西脇順三郎であることも今回分かった。
選考資料で西脇は、「翻訳された資料に乏しい」などと2行記されていた。
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