北杜夫×辻邦生、若き日の往復書簡38通 東京―パリ
作家の北杜夫82と故辻邦生(1925~99)が東京―パリ間で交わした往復書簡が見つかった。北が文壇で脚光を浴びる直前の59年5月から61年2月にかけて交わされた38通で、信頼関係や文学に情熱を捧げる息づかいが伝わる。
北と辻は旧制松本高校で同じ寮に暮らして以来、親交を育んだ。
書簡が交わされたのは、水産庁調査船の船医として欧州に赴いた北が帰国した直後から、どくとるマンボウ航海記(60年)がベストセラーとなり、夜と霧の隅で(同)で芥川賞を受けた時期にあたる。
辻はパリに留学中で、63年に廻廊にてでデビュー、近代文学賞を受賞する。
北は当時、十二指腸潰瘍を患ったため夜と霧の隅でが難航、それまで純文学のみで勝負しようとしていたが航海記を書くことにした。
書簡では、〈なにぶんバカげたものなので、「どくとる・まんぼう(魚の名)航海記」としようかと思っています。ただマンボに似ているのが困る〉(59年12月)。
また、〈辻の原稿、評論の方、埴谷(雄高)さんに見せ、「近代文学」にのることになりました〉(60年5月)と、掲載の世話をした記述もある。
辻は、〈冬景色のユーウツなパリに、宗吉(北さんの本名)の手紙は煖炉のようにあたたかい〉(59年11月)と友情をつづる。
一方で〈日本の文学は日本に居なければ書けないということはないし、日本のものだけを書くのが日本文学だとも思えない……僕たち一人々々のなかに、その土着の風土のなかでは描ききれない何ものかをもっているからだ〉(同年10月)と、ローマ帝国を描いた代表作背教者ユリアヌス(72年)などのバックボーンとなる文学観を書き記している。
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