奈良・中宮寺の金堂跡、基壇の変遷が明らかに
聖徳太子が建立したとされる中宮寺(奈良県斑鳩町)の創建時(7世紀前半)の寺域である国史跡、中宮寺跡を調査中の同町教育委員会は7日、金堂を再建・改修した変遷の状況が詳しく分かったと発表した。
町教委は、「中宮寺の盛衰で造りが移り変わった様子がよく分かる」としている。
金堂の創建時の基壇(土台)は推定で東西約17.2m、南北14.6m。
創建時は周囲に切り石を巡らせていたが焼失し、12―13世紀に再建した際に瓦積みに、17世紀までには盛り土へと、徐々に簡素な造りに改めていた。
金堂の建物は東西6本、南北5本の柱を2.6m間隔で並べた構造。
再建したが、柱の配置は創建時と変わらなかったとみられる。(NIKKEI 他)
★現地説明会
・町民対象 11日午後1時~同4時。
・一般対象 12日午前10時~午後4時。
・駐車場がないので、公共交通機関で
・少雨決行。
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コメント
堂々とした法隆寺伽藍に対して、こじんまりと優美な中宮寺。
ともに幾多の変遷を経てきたのでしょうね。
投稿: 大滝三千夫 | 2009/04/09 18:42
> 管理人様
かつて、奈良に行った際に行ってきました。
今の伽藍は、正直ただの、国宝を守るための覆いに過ぎませんが、当初の状況が分かるというのは良いですね。
投稿: tenjin95 | 2009/04/09 17:30