纒向遺跡は卑弥呼の宮殿?邪馬台国論争が再燃
邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向まきむく遺跡の中心部を調査中の桜井市教育委員会は20日、3世紀前半の建物跡や柵跡を発見したと発表した。
約30年前に見つかった、神殿状建物とされる建物跡の周囲に整然と並んでおり、桜井市教委は、「特別な施設の一部だった可能性がある」としている。
見つかった建物跡は南北に並ぶ3つの柱穴。柱は直径約15cm、建物は南北6m以上と推測されている。
柵跡は神殿状建物跡をコの字形に囲んでおり、合計約35m分を見つけた。
いずれも方向軸をほぼ南北に合わせて建ててあった。
「当時、このように複雑かつ整然と構築された建物群は珍しい」市教委。
纒向遺跡をヤマト政権発祥の地とみる奈良県立橿原考古学研究所の寺沢薫・総務企画部長は、「調査地点が纒向遺跡の中枢だった可能性がより高まった」と話している。(NIKKEI)から
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コメント
KOZOUさん
初めまして。
コメントを有り難うございます。
貴ブログ『きょうの あらかると』を拝見させて戴きました。
新進気鋭の、素晴らしく充実したブログですね。
私も九州は福岡県の出身です。
近くに卑弥呼の住居跡と伝えられる女山(ぞやま)と、邪馬台国九州説を唱える松本清張関係の文献をおさめた書庫(20年ほど訪れていませんが…)のある清水山があります。
今後とも宜しくお願い致します。
投稿: 大滝三千夫 | 2009/03/21 17:11
初めておじゃまします。
わたくし、最近「きょうのあらかると」というココログを立ち上げましたKOZOUともうします。
邪馬台国の記事にひかれて参りました。
わたくし、九州でご承知のように邪馬台国推定地は九州にも数多く、まるで町おこしの材料になっています(^_^;)
残念ながら記事にありますように、あれだけの大国があった遺跡は九州になく、わたしは邪馬台国は大和にあったと思っております。
時々寄らせていただきます。
もしよろしかったらわたしのブログものぞいていただければ幸いです。
投稿: KOZOU | 2009/03/21 12:18