新薬師寺跡、基壇は大仏殿上回る東西68m
奈良時代の新薬師寺金堂とみられる大型建物跡が出土した奈良教育大構内で、新たに建物の基壇を飾る石などが見つかり、基壇跡が従来考えられていたよりも14m長い、東西約68mと推定できると、同大学が13日、発表した。
東大寺大仏殿(江戸時代)の東西幅よりも大きい。また、建物前で見つかっていた板状の石列は、長さ約52mにのぼる長大な階段跡で類例のない構造だった、としている。
前回、基壇の東端とされていた場所から、さらに東に、基壇の飾りとみられる凝灰岩が計約3m分出土。西側でも柱を立てる礎石を支えるために石を敷き詰めた跡が2か所見つかり、建物の東西規模が広がった。
板石の列は、築造された順序などから階段の一部と判断した。
22日午前10時から正午まで現地を公開する。(YOMIURI)
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コメント
私は仏像を見上げるたび、不思議な空間に入り込んでしまいます。
仏師はいかなる思いを胸に、例えば百済観音を刻んだのか、伎芸天を彫ったのか。
胸に落ちたことがことがありません。
投稿: 大滝三千夫 | 2008/11/16 19:09
> 管理人様
奈良時代、これらの大寺が、本当に最先端技術で作られていたことをうかがわせますね。しかし、それを現代まで維持できなかった我々の先人達は一体何をしていたのか?仏教が日本国内でどう扱われてきたか、その一端を知る思いです。
投稿: tenjin95 | 2008/11/16 17:23