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2008/10/18

石神遺跡、7世紀の木簡に万葉の歌

奈良県明日香村の石神遺跡(飛鳥時代)から出土した7世紀後半の木簡に、国内最古の歌集万葉集の歌が記されていたことが、森岡隆・筑波大准教授(日本書道史)の調査でわかった。

Photo万葉集の歌木簡は、滋賀県甲賀市の紫香楽宮しがらきのみや跡とされる宮町遺跡(奈良時代、8世紀中ごろ)の出土例が最古だったが、約60年さかのぼる。

今回の歌が収録された万葉集巻7の成立時期より少なくとも半世紀以上古く、編纂過程を知る貴重な史料となる。

Photo_2

森岡准教授や奈良文化財研究所によると、木簡は羽子板状で長さ9.1cm、幅5.5cm、厚さ0.6cm。日本語の1音を漢字1字で表す万葉仮名で、左側に「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」、右側に「留之良奈●麻久(るしらなにまく、●はにんべんに尓)」の14文字がくぎのようなもので刻まれていた。

万葉集巻7に収録の、「朝なぎに 来寄る白波見まく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね」(作者不明)の冒頭部分とほぼ一致。
歌の意味は、「朝の凪に寄せて来る白波のような恋人を見たいと思いはするが、風が波を寄せて来ない」(『中西進著作集20 万葉集全訳注原文付二』)。

Photo_3木簡は奈文研の調査で03年度に発見。近くで出土した別の木簡には「己卯年(679年)」と記されており、7世紀後半のものと推定した。

木簡は右から書く例が多いため出土時は意味が判読できず、万葉集の歌とはわからなかった。森岡准教授は、過去の研究で土器に左から歌を書く例があったことから、万葉集の歌と判断した。

今回の木簡の歌には「見まく」の「見」に相当する部分がなかった。「寄る」を「やる」としたのは書いた人のなまりのため、「白波」を「しらなに」としたのは「弥(み)」を「●」と間違ったと推測している。

石神遺跡は飛鳥時代に、当時の政権が外国使節らを招いた迎賓館跡とされ、これまでに庭園や大型建物の遺構が見つかっている。(asahi.com)から抜粋

はやり歌の可能性
上野誠・奈良大教授(万葉文化論)の話
木簡の歌は、万葉集が完成するかなり前から詠み継がれてきたはやり歌の可能性がある。口頭で歌われたものを書きとめたため、一部に間違いもあるのだろう。万葉集は訓読みの漢字や万葉仮名で書かれた後世の写本しか残っていないが、7世紀後半の時点で万葉仮名で歌が書かれていたことがわかり、非常に意義深い。


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