藤原宮跡で宮殿造営の運河跡発見
国内初の本格的都城で、持統天皇が開いた藤原京(694-710年)の宮殿南門跡南側で、宮殿造営のために建築資材を運んだ運河跡2本が見つかり、奈良文化財研究所が24日発表した。
運河跡は南北方向に1本が設けられたとされていたが、今回の調査で大規模な運河網があった可能性が高まった。
運河跡からは材木などを運んだとみられる牛や馬の骨も出土し、宮殿造営の様子を示す資料になりそうだ。
運河跡は、南北方向に長さ約7m、幅約4m、深さ約2mを確認。
北側で過去に見つかった分を合わせると、運河は南北方向に長さ500m以上(推定)に及ぶ。さらに、南北方向の運河から北東へ延びる長さ約10mの2本目の運河も発見された。
藤原宮造営時の作業員が詠んだとされる万葉集の歌によると、宮殿の柱などに使われる木材は、滋賀県南部の田上たなかみ山の木を伐採し、木津川などを経て運び込まれ、宮殿内では運河を使ったとみられている。
松村恵司・同研究所都城発掘調査部長は、「国家的プロジェクトだけに、運河の設置など計画的に事業を進めた様子が分かる」と指摘した。 (msn)から
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