タモリ/森田一義さん、赤塚不二夫さんへの弔辞
2日に死去した漫画家赤塚不二夫さんについて、デビュー前から家族同然のつきあいをしていたタレントのタモリ62が所属事務所を通じて、追悼のコメントを出した。
4日、本名の森田一義で追悼文を発表した。
「私の恩人でもある赤塚不二夫氏が亡くなりました。この世界に入ろうとした時に、突然私の前に現れて、デビューのきっかけを作り、その後の物心両面での援助は肉親以上のものでした。あれから32年が過ぎました。色々な出来事、その場面が頭に浮かんでいます。ここに改めて感謝し、ご冥福を祈ります。先生ありがとうございました」。
赤塚さんはデビュー前のタモリの才能にいち早く目をつけ、自分のアパートに住ませ、テレビ出演への道を開いた。タモリが有名になってからも2人の親交は続いていた。
2人が初めて出会ったのは75年。歌舞伎町の飲食店「ジャックの豆の木」。タモリは早大中退後、地元の福岡で職を転々としたが、ピアニストの山下洋輔氏を介して同店に呼ばれ、珍芸を披露。
怪しい外国語を操るギャグなど6時間ぶっ続けの独演に笑い転げ天才の出現だと喜んだ赤塚さんから宿泊先を聞かれ、ないと答えると、目白のマンションに招かれた。同居した1年の間にテレビ局を紹介され、30歳でデビュー。
ブレーク後もよく飲み明かし、2人がふざけて見せるSMショーは新宿で人気だった。
タモリ 赤塚不二夫さんへ 弔辞
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