豊臣秀吉、絶景眺め茶の湯?太閤堤から庭園遺構出土
豊臣秀吉が築いた堤防太閤堤の跡が出土した宇治川東岸で、庭園の遺構が見つかった。宇治市歴史資料館は、火をたいた跡や手洗い場のような小さな池があることから、茶の湯を愛した秀吉が野だてを楽しんだ場所ではないかとみている。
庭園遺構の全容は不明だが、莵道稚郎子皇子うじのわきいらつこ墓の西に隣接した太閤堤の護岸から約50㎡が出土した。秀吉が1598年に没する数年前に築いた太閤堤と同じころに造られたらしい。
小さな石を敷き詰める庭造りの手法州浜すはまがみられるほか、焼けた石のある炉、直径約2mの池があった。池の水は川へ流れ込むような構造。
文献によると、秀吉は野だてを好んだとされる。池は庭園のものとしては小さいため、茶庭に設けられる手洗い場つくばいとみられ、炉で湯を沸かして野だてをした可能性があるという。
西約12㌔には秀吉が1582年に明智光秀と天下分け目の戦いを繰り広げた天王山、北約7㌔には10年後に築いた伏見城、眼下には宇治川の清流を望む位置にある。
「秀吉は実用的な堤防に庭を造ることで、教養ある天下人の力を示した。絶景を眺めながら茶の湯を楽しみ、天下統一を果たすまでの出来事に思いをはせたのではないか」京都造形芸術大の仲隆裕教授(庭園史)。
一方、「茶器などが出土しておらず、現段階で野だてに使われたと判断するのは拙速だと思う」平澤毅・奈良文化財研究所遺跡整備研究室長(造園史)。
秀吉は1594年、前田利家に命じて堤防を築いたと伝える文献があり、昨年9月の出土で裏付けられた。庭園遺構は、太閤堤の国史跡指定に向けて範囲を確かめるための調査に伴って見つかった。
◆現地説明会:30日午後1~3時。京阪宇治線三室戸駅から徒歩3分。
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