藤波孝生元官房長官、死去 リクルート事件有罪
藤波孝生元官房長官はかつて自民党旧中曽根派のプリンスとして、将来の首相候補と言われたが、89年にリクルート事件で摘発された。藤波氏は、リクルート社の江副浩正元会長から国家公務員の青田買い防止に関して依頼を受け、
2000万円の小切手と未公開株1万株を譲り受けたとして、受託収賄罪で在宅起訴された。
一貫して起訴事実を否認し、検察側と全面対決。4年9カ月の審理の末、東京地裁は94年9月、無罪を言い渡した。この間、93年7月の衆院選で落選。
二審途中の96年10月に返り咲きを果たし、○議事堂へ銀杏黄葉の門くぐると詠んだが、5カ月後、東京高裁で執行猶予付きの逆転有罪判決を受けた。
最高裁も99年10月に上告を棄却し、有罪が確定した。自民党は離党したが、議員辞職は拒み、00年6月の衆院選に無所属で出馬して当選。
○有り難きかな天地あめつちに百合溢れと喜びを表した。
03年10月に政界を引退した際には、「今でも罪を犯したという意識はない。(事件で)自分が犠牲になることで日本社会の鎮魂ができればいいと思ったが、できなかった」と答えていた。(時事通信・他)
■1932年12月3日、三重県伊勢市に生まれ。早稲田大学時代は雄弁会で活躍。当時の愛称は神様。早大卒業後、家業の和菓子店に従事。伊勢青年会議所を組織し、副理事長に就任した。
それを母体として63年三重県議会議員に当選1期務めた。67年、自由民主党から第31回衆議院議員総選挙に三重県第2区(中選挙区)から立候補し初当選。
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