本能寺の変の焼け瓦が見つかる 旧本能寺跡で発掘
織田信長が明智光秀に謀反を起こされ、自害した本能寺の変で焼けたとみられる瓦や堀跡などが、京都市中京区の旧本能寺跡の発掘調査で見つかった。旧本能寺を示す遺物や、焼け瓦が見つかったのは初めて。
関西文化財調査会(吉川義彦代表)が7月下旬から、マンション建設に伴い、中京区西洞院通六角下ルの旧本能寺跡の一部分とみられる約130平方メートルを調査していた。
瓦は、石垣が積まれた幅約6㍍、深さ約1㍍の堀の跡から、16世紀中頃の土器と共に出土した。ヘドロの中に大量に埋まっており、堀を埋めるために投げ入れられたとみられる。
赤茶けた焼け瓦や本能寺を表す「●」(「●」は「能」のつくりが「去」)とデザインされた丸瓦もあった。本能寺は度重なる火事で「ヒ(火)」を嫌い、「能」の代わりに「●」を使っている。
焼けていない瓦もあり、吉川代表は「本能寺の変の火勢はそれほど強くなく、すべてが焼け落ちたわけではないと推測できる」と話す。
今谷明・国際日本文化研究センター教授(中世史)は「本能寺の周囲に堀と石垣が見つかったことも、信長が防御に力を入れていたことを示しており興味深い」。
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